私の青春時代の唄
私の青春時代は、学生運動真っ盛りの時代だった。
べ平連(ベトナム平和連盟)・全学連・学園紛争・安保闘争……
数えれば切りがないほど、学生が社会の話題をさらっていた。
そして、フォークソング、真っ盛りの時代だった。
高石友也・岡林信康・フォーククルセーダーズ・五つの赤い風船…
ジョーンバエズ・ボブディラン・ピーターポール&マリー(PPM)…
なけなしの奨学金から買ったジョーンバエズのLP…
結局、私が買った、唯一のレコード盤となった。
山谷ブルース・釜ヶ崎のドヤ街・京都野外音楽堂・ウツボ公園…
最初に勤めた設計事務所がウツボ公園のすぐ南側にあった。
べ平連の集会がある度に、警察が会社の窓際の部屋を借りにきたことを覚えている。
若者が元気な時代だった。
若者だけには、打算がない時代だった。
今の学生を見ていると、何と大人びていることか。
(正直、私よりずっと大人らしく見える。)
(知り合いの大学生から、「どこか良い温泉を知らないか?」と訪ねられた。)
(ゼミの卒業旅行に行くのだ、と言うから驚いたものだ)
先日、東大の卒業式の場面が、テレビに流れた。
学長が、「今までと違って、積極的に自分で考える社会人に…」と祝辞を述べていた。
外務省に就職が決まっている学生にマイクを向けると、
「仕方のない戦争もある。戦争が、良いか悪いかは、今後、よく考えてから……」と答えていた。
彼らは、学園時代、反戦歌を歌うことはなかっただろうし、
今後、歌うことも無いだろう、と思った。
当時も、民青・全共闘など、大人の組織に引っ張られて組織した組織があった。
しかし、既存の政党に飽き足らない学生たちが、全学連を組織し、
既存の政党色の強い連中と相対した。
多くの、普通の学生たちが参加したものだ。
しかし、全学連は、東大・安田会堂の攻防を最後に、一気に消滅した。
中核派・赤軍派の惨劇がそれに輪をかけた。
学生運動が、一般の学生から疎く思われてしまった。
当時もノンポリと称す、学生運動に無縁な一団がいたことも事実である。
しかし、今の大人びた学生とは、やはり違っていたと思う。
バブル崩壊後、学生にとって就職は大変になってきた。
しかし、当時は今よりもっとひどいものだった。
学生運動をしていた、と言うことが明らかになると、
就職するとき、あからさまに不利になった。
三年生までは活動し、四年になると表からは身を引く、
というのが、民青の連中などには多くいた。
しかし多くのノンポリの学生たちが、フォークソング・反戦歌を歌っていた。
学園祭・下宿・街角・公園・卒業・釜が崎…
私は、ギターを先輩から譲り受け、弾き語りを覚えた。
下宿に寄り集まり、酒を飲み、琵琶湖の湖畔に出向いて、
大声で「友よ」を歌った。
「山谷ブルース」を歌った。
懐かしい、想いでの中の時代…であった。
今更、こんな歌を歌ってみても、当時に戻れるわけではないが、
今の若者たちに、損得の計算をしないで良い学生時代にこそ、
時代について、政治について、戦争に付いて、
純粋に、考えてほしくて、
覚えのある反戦歌をHPから拾い集めた。
こんな歌を歌う学生たちがいた時代があったことを
無意味と判っていても、それに情熱を燃やせる青年がいた時代があったことを、
知ってほしい。