中村哲医師の名言。
最後に中村哲医師が残された名言をお伝えしたいと思います。
「一隅を照らす」とは?。
もともと天台宗の開祖、最澄の言葉で、
「一人ひとりが、自分のいる場所で、自らが光となり周りを照らしていくことこそ、私たちの本来の役目であり、それが積み重なることで世の中がつくられる。」
という意味があるそうです。
「世の一隅の光たれ。」とはどういう意味ですか?。
平安時代に天台宗を開いた最澄の「一隅を照らす者、これ、国の宝なり」という言葉です。 一隅とはみんなが気づいていないほんの片隅、一角のことを指します。
。
転じて、本当は直視しないといけないにもかかわらず、目をそむけているもの、という意味もあるようです。
。
「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすことを誓う。」
2008年にペシャワール会のスタッフ、伊藤和也さんが殺害された時の言葉です。
「誰もそこへ行かぬから、我々がゆく。誰もしないから、我々がする」。
著書「辺境で診る辺境から見る」の中の言葉です。
自分に災いが降りかかるのを恐れ、知らぬ顔をすることが多い者にとって、心にズキッと差し込んでくる言葉です。
鍬も握っていない外国人が農業支援を行うことはできません。
これも「辺境で診る辺境から見る」の中の言葉です。
自分は鍬を握らず、汚れもせず、お金だけを出して農業支援を行ったという国に向けての言葉ですね。
「戦争協力が国際的貢献」とは言語道断である。
こちらも「辺境で診る辺境から見る」に書いてある言葉です。
中村哲医師は講演の中でも「武器を鍬に持ちかえよう。」と言われていました。
「国際的貢献」という名のもとで、どれだけの罪のない人々が命を落としたことか・・・。
医者であれば、一番必要とされるところで喜ばれるのが本望というものでしょう。なんべん考えても、ほかに選びようがなかった。
(日本の医療現場で働く)という別の道を選べば、死ぬときに悔いが残るだろうと考えた。
これは丸山直樹さんという方の著書 「ドクター・サーブ―中村哲の15年」にある言葉です。
中村哲医師は日本におられれば、たくさんの名声や豊かなくらしを手に入れることができた方だったでしょう。
でも、ご自分の良心に逆らうことができない真に誠実な方だったのですね。
口先だけじゃなくて行動に示せ。俺は行動しか信じない。
長男の健さんが告別式の挨拶で語られた言葉です。
父親の中村哲医師から、いつもそう言われていたと。
私も、この中村哲医師の言葉を心に覚えておきたいと思います。
まとめ。
今回はパキスタンやアフガニスタンの人々のために生涯を捧げられた中村哲医師の経歴と功績、ご家族そして名言についてご紹介しました。
==========================================
中村哲の名言30選。
(1)、 日本の平和的なイメージが非常な好印象を、アフガンの人たちに与えていることは事実です。
(2)、 日本は、軍事力を用いない分野での貢献や援助を果たすべき。
(3)、 戦争で国が良くなることはない。
(4)、 アフガンの人たちは、親日感情がとても強いですしね。それに、我々は宗教というものを、大切にしてきました。
(5)、 まず生きること。
(6)、 戦争をしている暇はない。
(7)、 医療だけでは限界がある。
(8)、 アフガニスタンでは温暖化の影響で農地が乾燥し、年々失われて、食料が少なくなり、深刻な事態になっている。私は医療関係者だが、薬だけでは人々の健康は守れない。清潔な水、それから十分な食べ物を確保するために、かんがい事業が欠かせない。
(9)、 子どもたちや孫たちに良いアフガニスタンを残すこと、それが一番の課題。
(10)、 国際機関は、とにかく数字を示して自分たちの活動の成果を誇示しようとします。そうすることが、次期の予算やなんかにも影響してきますからね。
(11)、 この30年間(アフガニスタンを)見ていて、まず破壊ばかり。それだけでした。
(12)、 依然としてテロとの戦いと拳を振り上げ、『経済力さえつけば』と札束が舞う世界は、砂漠以上に危険で面妖なもの。
(13)、 もし真理というものがあれば、それは地下水みたいなもの。
(14)、 自分の国の教育もきちんとできていないのに、よその国の教育がどうのこうの言ったって仕方ない。
(15)、 希望を守り育てるべき。
(16)、 無駄なところへ援助資金が投下されている。
(17)、 命に対する哀惜、 命を愛おしむという気持ちで物事に対処すれば、 大体誤らない。
(18)、 善意の押し付けだけでは失敗します。
(19)、 みんなが生きていかなくちゃ。
(20)、 どの場所、どの時代でも、一番大切なのは命です。
(21)、 地元の人が何を求めているか、そのために何ができるか、生活習慣や文化を含めて理解しないと。
(22)、 生きている上で『人として最低限これくらいはしなければ』ということを大事にしていけば、どんなに世の中が変わっても、大体誤りはないのではないか。
(23)、 我々は、日本政府からは一円の援助も受けていません。
(24)、 来る日も来る日も治療していくが、追いつかない。
(25)、 道で倒れている人がいたら手を差し伸べる。それは普通のことです。
(26)、 好きなことをしているだけ。
(27)、 自分の気に入ったところで、 自分のできる範囲で、人々と楽しい気持ちで暮らす方がいい。
(28)、 信頼関係があること、これが武器よりも一番大切なこと。
(29)、 誰も行かぬなら、我々が行く。
(30)、 僕は憲法9条なんて、特に意識したことはなかった。でもね、向こうに行って9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる。